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11. ファシリテーター
 
 ヒトと話せないJava技術者
 
 Javaはご存知でしょうか?…今流行のプログラミング言語(技術)です。当初はインターネット上で簡単なアニメーションを動かす程度の役割でしたが、ネットビジネスが盛んになったこの10年で、今やWebシステム開発には欠かせない存在になりました。「オブジェクト指向」設計という時流にもマッチし、再利用のためのコンポーネント化もどんどん進んでいますから、今後も当分この技術は注目され続けるでしょう。

 教育研修の場でもJavaを教えて欲しいというニーズは増えています。そうなれば、当然それを教える講師も大勢必要になってきます。

 昨年私は、Java講師手配のため、制御系ソフト会社を経営している友人に久しぶりに会いました。昔一緒にソフト開発の仕事をやった仲間で、年下ですが、もう会社経営は15年以上…90年代の「情報バブル」を切り抜けた辣腕社長です。  “ねえ、あんたのところ、Javaの技術者はいる?”と私。“うん、いっぱいいるよ”という答に…“じゃあ、誰か講師のできる人はいない?”と聞くと、間髪入れずに答が返ってきました。“うぅん、ひとりもいない”…。

 “いや、講師経験は無くてもいいよ。こちらでちゃんと研修するから…”と言っても、“ダメ、できないよ”…と、にべもありません。“なんで?”と聞いたら、“あいつら、人と話せないもん”…。

 ちょっと信じられないかも知れませんが、本当にあった会話です。

 人と話せないんじゃ、いくら技術が有ったところで講師は務まりませんし、研修するといってもちょっとやそっとでは何ともなりません。

 前項で書いた「人とまともに会話ができないSE」に関係する話です。ただし、技術者そのものの問題については、また別の項で述べたいと思います。ここは、IT教育における講師とは…というテーマで話を進めようとしています。

 『コンピュータがわからない人は、わかっている人が何を言っているかわからない。コンピュータがわかっている人には、「わからない」という人がわからない。両者の溝は、これから深まるばかりだ』…これは、佐伯胖著「新・コンピュータと教育」(岩波新書)に書かれている一節です。

 Javaの話は極端な例だとしても、コンピュータの仕事に携わる人たちの傾向として、ヒトとの関わり合いを苦手とする人が多いのは確かです。もともと人付き合いが嫌なのでコンピュータの道に進んだという人もかなりいます…。でも、講師となると、そんなことは言っておれませんよね。最もヒトと関わる仕事の一つなのですから。

 「インストラクター(指導者)からファシリテーター(促進者)へ」というのがテーマなのですが、済みません、まだかなりの道のりがありそうです。 
 
 
 教科「情報」新設(高等学校)
 
 昨年(平成15年)から、高等学校に普通教科「情報」と専門教科「情報」がともに新設され、いよいよ本格的な情報教育が始まりました。

 その関係もあってか、昨年8月、主に高校の先生方の参加を目的とした「情報教育シンポジウム」の第1回目が開催され、私も縁あってそこに出席しました。

 コンピュータメーカーや教科書出版会社、教育関連会社などの人たちから、それぞれの立場で「情報教育」についての講演がありました。そこで、一様に出てきたのが「ファシリテーター(促進者)」という言葉です。
 
 
 インストラクターからファシリテーターへ
 
 曰く、「受動的な学習から、能動的かつ質問を基盤とした学習へ」「情報の伝達から情報の交換へ。そのためには共同作業(グループワーク)を主体に…」。また、「知識技能の獲得が目的である知識伝授型から、知識技能を使って問題を解決する知識活用型へ」とか、「主役は先生ではなく、生徒だ!」など…。

 まさに、「情報社会型教育」(8.寺子屋方式!)を実現しなさい、と言っているわけです。そして、そのキーマンである先生は「教えて進ぜよう」という態度ではなく、「生徒と共に学ぶ」という姿勢でなければならない…一方的に知識を教え込もうとする「インストラクター(指導者)」から、自主的に学習する生徒をガイド(案内)・サポート(支援)する「ファシリテーター(促進者)」へ…。

 常日頃まさしくそうあるべきと思っている私は、「我が意を得たり!」という気持ちで、それぞれの講演を聴いていました。

 講演の最後に、それを実践する立場にある高校の先生が登場しました。「そないなこと言われたかて、できしまへんで…」てな発言があったらどうしよう…という不安と妙な期待(笑)がありましたが、さすがに当事者だけあって、やるべきこと(理想)と現状の問題(現実)までを踏まえた、とてもしっかりした内容の講演でした。

 「記憶力偏重の学習観が変わる」「情報活用能力の重要性…大量の情報を持っているだけでは何の価値もない」ということから始まり、教師の役割は「アドバイザー、ナビゲーター、プロデューサーであり、そしてファシリテーターである」というところまで、きちっとあるべき姿は押さえられていました。
 
 
 相変わらず「教師主導型」の教科書
 
 でも、やはり問題は山積みのようです。

 まず、教科書がそうなっていない…教師主導の構造的なものであり、生徒の知的要求に答えづらい…という指摘がズバリありました。つまり、教科書通り授業をしていては、まったく従来と変わらない教え方になってしまう…ということです。シンポジウムの最初の方で、教科書出版会社の人も講演した(当然、「先生はファシリテーターであるべき」ということも言っていました)わけですが、果たしてその心境やいかに…ですね。ちなみに、教科書として採択されたのは科目「情報A」(情報活用中心)で13社…どうも、全部通ったらしいですね。講演者の中には、この点について「新しい科目ほどチェックが必要なのに、文科省の手抜きではないか!」と言う人もいました。

 もちろん、教科書の中身としては、知識を一方的に教えるということだけではなく、生徒自身に調べさせる課題とか実習課題もあるようですが、それが「お寺の拝観料をインターネットで調べる」だとか「小遣い帳で5,000円を超したら赤で表示する」であり、“そんなの電話で聞けばいいじゃん!”“別に赤じゃなくても、見りゃわかるじゃん!”というレベルなのだそうです。

 これは、課題(つまり「ケーススタディ」)の設定の仕方が、根本的に間違っているような気がしますね。「調べ学習」といっても、どうやら先生が想定している答に誘導するだけであり、それでは、きっと生徒はすぐに飽きてしまうのではないでしょうか。「探求心」など育ちようもない…だいいち全然面白くないですよね。

 
 情報処理能力のバラツキをどうするのか
 
 さらにもっと重大な問題指摘がありました。それは、「生徒の情報処理能力に大きなバラツキがある」ということでした。中学校までにどの程度やってきたか…ということもありますが、ほとんどパソコンを触ったことのない生徒から、もうすでに自分のパソコンを持っていて自在に(なかには教員よりも上手に)使いこなしている生徒までが混在しており、どのレベルの生徒に焦点をあてて授業をすれば良いかが皆目分からない…ということでした。仕方がないので、生徒全員をある程度のレベルに揃えるため、これまではひたすら基本操作の練習をさせている…のだそうです。う〜ん、もうすでにパソコンが使える生徒にとっては、退屈極まりない授業になっていることが想像されますね。

 情報活用力=パソコン操作能力ではない、ということは百も承知なのでしょうが、まずは基本操作(基礎)から…という、(前の項で述べた)『跳び箱流順序神話』から抜け出せていないような気がします。

 
 Educe=引き出す
 
 教育にはさまざまな要素がからみます。しかし、余分な要素を取り去って、ぎりぎりせんじ詰めてしまえば、教える側(先生)と教えられる側(生徒)とのコミュニケーション(かかわり・ふれあい)につきるのではないでしょうか。 そもそも「教育(教え育てる)」という言葉自体がおこがましいもので、字句通りならば、よほど偉い人でないとできない…というより、およそ人間にできる業(わざ)ではないような気がします。Educationの語源「Educe」は本来“引き出す”という意味ですよね。

 今、インストラクター(指導者)からファシリテーター(促進者)へ…ということが言われるのは、工業社会(管理社会)⇒情報社会(参加社会)という時代の流れであると同時に、教育の本来の姿に立ち戻る、ということでもあると思います。

 それにしてもEducationを「教育」と訳した人は誰なんでしょうね。責任者出て来〜い!…とまでは言いませんけど(笑)。
  
 
 現場の教師全員を「ファシリテーター」に
 
 「ファシリテーター」というテーマで、「人と話せないJava技術者」という話から始めて、「情報教育の在り方」そして「現場(高校の先生)の悩み」というように続けてきました。何が言いたかったのかを整理してみます。

 まず、教える側には教える内容の知識・技術はもちろん要りますが、その前に基本的な教育スキルが必要で、その核になるのはやはりコミュニケーション能力です。ヒトに気持ちが向いていない人では先生になれません。…と言いつつ、IT業界では現実にはそうじゃない人が(知識があるというだけで)講師をやっていたりします。ITの知識・技術の進展に、講師(の養成)が追いついていないのです。

 「情報教育」の在り方については、ほぼ誰もが同じイメージを持っています。自主的に学習する生徒を先生がファシリテート(支援・促進)する…これが理想です。しかし、現場でそれを実践するのはなかなか困難です。そもそも、いったいどこに自主的に学習している生徒がいるんでしょうね(笑)。

 教育の世界は、まだまだ「工業社会型」の仕組み・価値観の中にどっぷり浸かっています。きっと世の中で最も遅れています。その中で教科「情報」だけを「情報社会型」にするなどということは、どだい無理な話です。教育全体を「情報社会型」にするというベクトル(方向性)とそれを具体的に推進する仕組みがあって、はじめて成り立つのではないでしょうか。

 教育改革が謳われてからもう15年以上経ちましたが、いまも「ゆとりの教育」で混乱しています。この状況を打開するには、私は「教員研修」しかない、と思っています。いくら方針や制度・教育内容を変えても、現場の先生が変わらなければどうしようもありません。
さあ、今いる先生を全員「ファシリテーター」に変える研修を、今すぐにでも実施しましょう!

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