FD
(ファカルティ・ディベロップメント)
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ちょうどこの(平成16年)4月から国立大学が「独立行政法人」となりましたね。おかげで教授が国家公務員じゃなくなったとか、教職員の組合運動が活発化している…というような話がありますが、そこにはあまり興味はありません。ただ、この改革は、大学運営の自主性・自律性を高めるという目的と同時に、大学における教育の質の向上というのも大きな目的になっているはずです。
FD (ファカルティ・ディベロップメント…大学教員自身による授業内容・方法の改善)に積極的に取り組んできた大学もあるのでしょうが、全体的・実質的にはまだまだ…なんでしょうね。なにしろ、先生方は「学生による授業評価」が大っ嫌いですし、なかには未だに「シラバス(授業概要・計画)」さえ揃っていない大学もあるようですから…。教育の質の向上?そんなものは学生のレベルが低くちゃどうにもならんだろう…先生方がこう思っているうちは大きくは変わらない気がします。
大学に限らず、これまで『教育の品質』というのは世間ではあまり問題にならなかった…問題にされてこなかったと思います。言い方は悪いですが、「やりっ放し」でもよっぽど何か変なことが起きない限り問題にはならない…。
学校と比べると「企業研修」はさすがにシビアです。それでも研修を社員の福利厚生の一環としか考えていない会社は、(これも言い方が悪いですが)とりあえず「やった」という事実が大事で、その中身とか教育効果を検証することにあまり熱心ではありません。
確かに教育をする側(私どももその端くれなのですが)にとってはこんな楽なことはありません。…でも、それ(教育の中身が良かろうが悪かろうが一緒)では、きっと世の中ろくなことにはならないですよね。
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仕事をする前にお金がもらえる
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もう一つ、教育をビジネスと考えたときに非常に特徴的なことがあります。それは、「前金」であるということです。ほとんどどの学校も授業料は先払いですね。仕事をする前にお金がもらえる…こんな「おいしい」商売はありません。しかも、「一旦収めた学納金はどのような理由があってもお返ししません」というのが通例になっています。最近ちょっとそれが問題になりましたが、入学金さえも返してくれませんから…。
入ってから、あれ?思った内容と違う…とか、ゲッまったくついていけない、どうしよう…と言っても後の祭りなわけです。
これは…ちょっと迷いましたが、エイッ!と書いてしまいます。あるパソコン教室の経営者は、はっきりとこう言います。“シルバーの方がなかなか覚えられない…別にいいんじゃない?もう授業料は戴いているわけだし…、その分ご本人に来たいだけ来てもらったらそれでよろし”…同じ内容の言葉を複数の違う教室の経営者からも聞いています。そして、不思議なことに、誰もそこに“それはないんじゃない?”…と異議を唱える人がいません。
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教育バウチャー制度
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ひところ「教育バウチャー制度」というのが話題になりました。教育の助成金を、今のように「教育機関」にではなく、受講生(子どもの場合はその保護者)に「クーポン券」みたいな形で直接給付してしまおう…という制度です。要するに、学校を市場経済(自由競争)に組み込もう…ということですね。受ける側からすれば「学校選択」できるメリットがありますが、教育機関(の一部?)は、そんな恐ろしいことをしてもらっては困るといって反対しています。
これは情報社会のキーワードである「多様化」の方向ですし、教育界のあまりにも閉鎖的な側面を長い間見続けてきた私としては、当然こうした制度があっても良いと思っています。…というより、実は私は、この「教育バウチャー制度」よりももっと過激に、「教育クーリングオフ制度」(受講してからでも、効果がないと判断したら返金請求できる)というようなところまでいかないかな…と考えています。もちろん、自分で自分の首を絞めかねないのは承知の上ですが、そうでもしないと『教育の品質』はなかなか上がらないと思っているからです。
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シルバーは「おいしい」お客
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前項で、パソコン教室の経営者には“シルバーの方がなかなか覚わらないのは仕方が無いしそれでいいんだ。授業料はもう戴いているんだし…”と言う人たちがいる…と書きましたが、この言葉にはまだ続きがあります。
“半年通っても分からない…まあ、それで諦めてしまう人もいるけど、なかには再度授業料を払って来てくれる人もいる。これがありがたいんだよね。だから、簡単に分かってもらっては困るんだよ”…えげつない話ですが、ある意味、これが経営者の本音でもあるわけです。ですから、こういう人たちに、学習効果を上げるには「機能学習」ではなく「ケーススタディ学習」で…などといくら言っても、聞く耳はまったく持っていません。
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教育にも品質が要求される時代
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でも、いつまでもそんな時代が続くわけではありませんよね。教育の世界も「消費者本位」「受講生本位」に変わる必要があります。これからは『教育にも品質が要求される時代』になるはずだと思うのです。
現状のパソコン教育では、基本的に「テキスト」とそれをベースにしたカリキュラム(要するに「講義スケジュール」)があるだけで、中身をどう教えるかは講師に任されています。実力のある講師ならば、それでも何とか受講生の様子を見ながら教え方を工夫し、講座を成立させるべく努力します。しかし、実力の無い講師はただ「テキスト」に沿って、その内容を説明するだけです。なかには(自分が知っているからといって)余計なことまで喋って、いたずらに受講生を混乱させるばかりの講師もいます。
どう考えても、ちゃんとした授業設計に基づいた「ティーチングプラン(教案)」が必要ですよね。それでなければ『教育の品質』は保証されないはずです。
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ねらいの品質、できばえの品質
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もともと「品質」には「ねらいの品質」と「できばえの品質」がありますね。教育でいう「ねらいの品質」は通常「カリキュラム」という形で表されます。でも、たいていそこには学習内容(何を…What)しか書かれていません。それはまあ仕方がないにしても、どうやって教えるか(How)が無ければ、「できばえの品質」は講師の力量次第で決まってしまうことになります。良い講師にめぐり会えたらラッキーですが、ひどい講師に出会ったら、受講生は泣くしかありません。あっ…寝るという手もありますけど(笑)。
どうやって教えるか…つまり、授業設計ですね…を考え、「レッスンプラン(教案)」としてまとめる。そして、それを講師が読み込むことによって(もちろん、そこに自分なりの工夫を加えても良いのですが)「できばえの品質」の水準が保たれます。「教え方」を学ぶことは、講師自身の教育スキルを向上させるためにも必要なはずです。
でも、未だ「レッスンプラン」があるというパソコン教室にお目にかかったことはありません。その理由は、「どうやって教えれば良いかが分かっていない」とも言えますが、むしろ、テキストをテキスト通り教えている…つまり「機能学習」「知識伝授型」である限り、そんなことは「考えもしていない」といったところが実情ではないでしょうか…。
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オブジェクト指向型教育
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「どうやって教えるか」を考える第一歩は「ケース」を設定することです。その「ケース」のテーマが目的地であり、その作り方(レシピ)は地図ですね。そして、目的地に到着するためのナビゲーションの仕方(方法論は一つではありません)がなるべくたくさん書かれていれば、それが良い「レッスンプラン」なわけです。
これは、教える内容とその教え方を「カプセル化」するということであり、専門技術としてのIT分野における新しい技術動向(設計思想)である『オブジェクト指向』の考え方に相通ずるものがある…と考えています。
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